小野田珠結さんの留学物語

小野田珠結さんの
留学物語

Queensland College of Dance入学

ナツキバレエアカデミーに4歳で入会
当時18歳

本人の感想(留学後)

私は4歳の頃にナツキバレエアカデミーに入会し、ナツキバレエアカデミーの友達たちと育ちました。

今思い返せばバレエはもちろん、精神力も、何かが初めてできたときの楽しさも、悔しさも、成功も、挫折も、最初はここで学びました。

留学以前にまず、ナツキバレエアカデミーに出会えたことを心の底から感謝しています。

たくさんの学びを得た後、2025年の18歳の冬にQueensland College of Dance (以下QCD)へ入学しました。

私の留学生活は、本来バレエダンサーを目指すなら就活や就職をし始めなければいけない年齢からのスタートでした。

こう聞くと少しネガティブに聞こえるかもしれません。が、子供の頃の私が選んだ道を後悔したことはありません。

たくさん悩んで、逃げて、でもやっぱりバレエをやりたい。やるだけじゃなく、プロになりたい。と葛藤した私も引っ括めて今は自分を褒めてあげたいと思います。

そして、そんな自由な私をずっと見守ってくれた家族。温かくも厳しく柔軟にバレエ以外の面でも支えてくださったナツキバレエの先生方。ナツキバレエで出会った片岡先生、仁美先生、竜先生、ヘレン先生、ナツキバレエの友達たちには感謝してもしきれません。本当にありがとうございます。

そんな私の今までをここに記させてもらうことになりました。言葉足らずな部分もあるかと思いますが、なにかのヒントになればと思います。

私の留学が少し遅いのは中学、高校と年齢が上がっていくうちにまわりの意識の高さに圧倒され、「自分はみんなのようにバレエに熱中できない。こんな中途半端な気持ちではプロにはなれない。」と決めつけて、バレエから少し離れている時期があったからでした。

その後は趣味としてバレエを続け、高校1年生の夏にくるみ割人形の発表会に出ました。

発表会を終えたあと、母からこれからどうバレエと向き合っていきたいのかと話をされたことがありました。

ナツキバレエでは発表会は2年に1度のため、次の発表会は高校3年生の夏でした。それまで特にコンクールや舞台に出る予定はなく、これからなんの目標を持ってバレエをしていくのか、当時の自分ではわかりませんでした。

そんなとき母は私が「バレエは辞めたくない!」と言うのをわかっていたのか、バレエえんとつ町のプペルの子役オーディションを教えてくれました。

主演は小学4年生くらいの頃からお世話になっている竹田仁美先生でした。大好きな仁美先生が主演で、バレエを続けるためなら…と、軽い気持ちで受けました。

そんなプペルバレエとの出会いが私の人生の転機でした。

あまりできた気持ちはしませんでしたがなんとか合格し、平日は学校とナツキバレエに通い、土日は東京に通う日々が始まりました。

私の気持ちが変わり始めたのは本番が近づきプロのダンサーと合同リハをすることが増えていった頃でした。

プペルバレエは新しい試みということもあり、困難の連続でした。ですが素晴らしい音楽や振付をより多くの方に観てもらおうと、参加するダンサーやスタッフ全員の気持ちが一つになっていくのを感じました。

私もプペルバレエの一員であることを実感するようになり、プロの方の大きな背中をみて私ももっと踊れるようになりたいと思うようになりました。

それからはリハーサルの向き合い方、マッサージからウォーミングアップまで吸収できることはすべて吸収しよう、とより真剣にリハーサルに参加しました。

あっという間に本番を終えて、ですが何日も大きな舞台の上から見た景色を忘れられずに、また舞台に立ちたい!これを仕事にしたいと最近はなんとなくバレエをやってきたけどまた本気で目指したいと思うようになりました。

今もあの舞台の上から見た景色と音楽が忘れられず、辛くなったときにはその時の音楽を聞いてまた頑張ろうと思うほどに私の心が動かされた瞬間でした。

それから留学をするまではバレエの基礎をもう一度見直し、怪我をしない身体の作りを高校2年生の冬から片岡先生の元で学びました。

金土日とまた東京に通う日々が始まり、毎週自分の基礎や身体の使い方の甘さに打ちのめされる1年でした。とても辛かったですが、今思えばこの時間がなければ今の私はないと言えるほど自分に向き合い続けた時間でした。

片岡先生のレッスンは的確でわかりやすく、また、基礎を細かく分けてご指導してくださいました。今までやってきて知らないこともたくさんあり、学び続けることの重要さを知りました。

1年間ETPとして学んだあと、片岡先生と繋がりのあるQCD(Queensland College of Dance)へ留学しました。

留学するまでは、QCDの教師をされているヴィムブルックス先生、カレンドナヴァン先生とのオンラインでの指導もしていただきました。留学前から手厚いサポートをしていただき心強かったのを覚えています。

私の留学したQCDはクラシックのバレエ学校ではなく、様々な夢を持った生徒が集まる専門学校のような感じで、バレエ科、コンテンポラリーダンス科、コマーシャル科(キャバレーやジャズ)、ミュージカル科がありました。

なので隣のスタジオから歌が聞こえることがあったり、見たこともないような派手な衣装を着た生徒を見ることもありました。

そんないろんな生徒が集まる学校ということもあり、卒業公演では全生徒でミュージカルの作品にも出演しました。私にとって、ただでさえ知らない世界なのに英語で歌うことは大きな挑戦でした。

また別の公演でもコンテンポラリー科とコンテの作品を踊ったり、コマーシャル科とジャズダンスを踊ったりもしました。

バレエダンサーを目指す生徒だけで専門外のダンスに挑戦するのではなく、専門で学ぶ生徒達に混ざって踊るのでたくさんの刺激を受けました。

また、そのように自分の専門外の世界を知って、今所属する科目よりも違うものを学びたくなったら移行することもできるので、様々なことに挑戦しやすい環境でもありました。

そんな私の留学生活は今まで以上にバレエにのめり込める日々でした。

物理的に踊る時間が増えたということもありますが、知らない土地、慣れない言語、文化の違いなども大きく関係していました。

最初こそはこれらに戸惑う事が多かったですが、「今までやってきたバレエだけは文化や言語の壁はない」とポジティブに捉え、今まで以上にバレエに熱中していました。

そうしているうちにまわりの友達があなたのバレエが好きと、話しかけてくれるようになりました。言語や文化の壁を最初に破ったのはバレエでした。

ただそうは言っても言語は簡単に身につきませんでした。
特に最初の方は先生の指示が完璧に分からなかったり、友達の会話についていけなかったりと私だけ指示が不透明な中で生活するのは一部のストレスでもありました。

頑張って話しても友達に悪気なく、何言ってるかわからないと笑われてしまうこともありました。その時は本当に傷ついたし、どうしたらいいかわかりませんでした。

それでもまずは聞き取ることから始めたり、英会話の先生に教わったことを思い出して勉強していました。

そうすると少しずつ分かったり、通じたり、話せるようになりました。初めて会話で一緒に笑い合えたときは本当に嬉しかったです。

留学中は1年間で計7回の公演、約11作品の舞台に立ちました。私の学校は色んなジャンルのダンスをやらなければいけなかったので、限られた時間の中で全員で舞台を作る大変さを目の当たりにしました。

グループで出場したコンクールではパ・ド・ドゥのパートを選んでいただいたり、ジゼルの公演では1幕のペザントのパ・ド・ドゥ、ソロにも選んでいただきました。

私よりもスタイルが良かったり、技術もある生徒が多い環境の中、たくさん学ぶ機会をいただけたことに本当に感謝しています。

ジゼルでは、キャストを決める模擬オーディションでキャストが決まりました。そのオーディションはただ踊るだけではなく、実際のバレエ団のオーディションのように履歴書や自分の長所をまとめたレジュメの提出も必須でした。実際にこれから必要になることも練習の機会をいただきました。

そしていざ練習が始まるとソロになれた喜びから一転し、私よりも学年が上の子達や、選ばれなかった友達のプレッシャーと、ペアの男の子との意思疎通の難しさ、また2幕ではウィリのコールドもあったのでペザントのリハでウィリのリハに全て出れない中での場所取りや細かい注意の指摘でメンタルも身体も本当に鍛えられました。

また、私は学生寮の5人でシェアルームをしていたので、家事や食事も全て自分でこなしていました。

寮はQCDの学校寮ではなく、色んな学校に通う生徒がシェアしていたので私のルームメイトもそれぞれ違う大学や科目を勉強していました。

今まで日本に暮らしていた時は両親にサポートしてもらっていたこともいざ全て自分でやるとなると両親の存在が本当にありがたく思いました。

またシェアをしていた友達が日本人ではなかったので、文化の違いをそこでも感じました。

網戸が開けっ放しで外からカラスが入って来そうになったり、ゴミ箱が開けっぱなしでハエが大量に出たり、シンクに油を流してシンクの水が流れなくなったりしました笑

そういうトラブルも今まではなんとなく両親がやってくれると思っていましたが、今は自分で動かないと解決しないので、そういう面でも両親の存在が大きかったんだと実感しました。

この1年間、今まで以上にバレエ、言語、人間力、生活力など、あらゆる力を問われ続ける生活でした。そんな今まで以上に厳しい世界に身をおいてもバレエが好き、もっと上手くなりたいと思う気持ちは変わりませんでした。

そしてこれほど大好きでもっと高みを目指したいと思えるものがあるということは当たり前ではないと自身の中学生の頃の葛藤から知っています。

なのでもう一度目指そうと思うきっかけをくださったプペルバレエとの出会い、目指すために指導してくださった片岡先生、ナツキバレエの先生方、プロになるためにたくさんの経験、実践的な指導をしてくださったQCDの先生方、私を全力で応援してくれた家族、友達たち、全ての出会いに感謝しています。

最後に、私は夏紀先生のように強く、優しく、時に情熱的でありながら柔らかさを持ち合わせたダンサーになりたいです。

夏紀先生との出会いがなければ、今までの私の軌跡はありませんでした。私の1番の幸せは夏紀先生に小さい頃に出会えたことだと思っています。

夏紀先生、私にバレエを教えてくれてありがとうございます。辛いこともありますが、私はバレエのある生活が大好きです。

いつか夏紀先生にバレエでご恩を返せるように大きく成長して、スタジオに遊びにいきます!!!

私の大好きなナツキバレエアカデミーと、先生方、ナツキバレエに関わるすべての方々に愛を込めて

保護者様の感想

バレエ留学を目指し始めてからのお嬢さんの様子について

子供の頃から踊ることが大好きな娘で、ダンサーになりたいと考えはじめたのは、初めてコンクールに出場した小6前だったと思います。

その後、いろいろな葛藤や怪我などを理由に、自然と少しバレエから距離をおいていました。

再度、ダンサーへの夢を本気で追いかける転機になったのは、高校1年の冬にプペルの舞台で、仁美先生やプロダンサーさんと共演出来たことです。

特に、練習に対する姿勢や舞台に対する真剣な向き合い方を目の当たりにし、また舞台で踊る楽しさと表現することをもっと学びたいと、自分の進みたい道が明確になったようです。

「いろいろなダンサーがいていいんだ。プロを目指し高校2年生からでも留学して学べるなら」と決意し、遅いスタートを切る覚悟を決めたようでした。

その後、留学準備を進める中で、ナツキバレエの先生方や片岡先生からは本当に大きなサポートをいただきました。

アルバイトをしながら英会話の勉強や家事を手伝い、三島と東京に合わせて週5回は通い、家にはほとんどいない日々が続きました。

自分で情報を調べ、移動中も時間を有効に使うようになり、自己管理ができるようになっていきました。

また、毎日の体のメンテナンスにも力を入れ、股関節や膝の痛みがなくなり、休まずにレッスンを続ける中で体力も自信もつきはじめたようでした。

家族の食事を作ってくれることもありました。

また「この曲で踊りたい!」と思ったり、街で聴いた曲に合わせて振り付けを考えたりすることが増え、常に踊りについて考え続けていたように感じました。

留学中心配なことはありましたか?

留学に向けての一番の心配は、健康や食について、身の安全でしたが、オーストラリアは治安も良く、英会話は学んでいたのと、18歳になっていたこともあり、いろいろな申請や許可など取りやすかったです。

また、1度短期留学で訪れたことがある学校だったので、現地の友人やレッスンを受けていた先生方の存在も安心材料となり、送り出すことができました。

本人が学生寮で自炊を選んだこともあり、共同生活での文化や生活習慣の違いに苦労しているようですが、それも成長の一環として大切な経験だと思っています。

留学サポートについて

夏紀先生には、留学へのサポートだけでなく、進級やコンクール参加に関しても何度も面談や相談をしていただきました。

中学2年から高校1年頃まで、バレエから少し離れていた時期には、別の進路を考えていたこともありました。そのため、遅い挑戦には先生を驚かせてしまったかもしれませんが、先生はいつもまっすぐに向き合ってくださいました。

「考えて出した答えでも、何度変わってもいいんだよ。その都度、一緒に考えていこう」と、何時間もかけて、紙にいろいろな選択肢を書き出し親子を温かく受け止めてくださいました。

高校や進路など、悩んでいたことがスッと消えてスタジオの帰り道が明るく感じられたことを、今でも覚えています。

留学が決まってからは、ホームステイについてや寮・シェアハウスの選択についてなど、食事についても、先生は自身の経験をもとにアドバイスをくださり、娘の性格に合った最適な方法を一緒に考えてくださいました。

また、小さい時から先生が、留学を身近に考えられるような環境を整えてくださったことにも感謝しています。

仁美先生から英語でのレッスンの機会をいただいたり、ヘレン先生をはじめとする海外からの先生方からも指導を受けることができました。

レッスンを通して、英語力が必要だと知る事が出来ただけでなく、ヘレン先生の主催された横浜インテンシヴでは、ジャズ、コンテ、キャラクターなどに楽しく触れることができ、現在もバレエ以外の踊りを楽しめるのは、この時の経験がとても大きかったと思っています。

保護者様とのコミュニケーションについて

昔からとても豪快で、面白く、熱く、そして涙もろい先生で、子どもたちのことをいつも一番に考えてくださいました!

子供が小さい頃は、見学の合間に小さいことでも時間をとって相談にのってくださいました。

成長してからは、私が見学に行かなくても、顔が見えればいつも挨拶をしてくださり、今日もなかなか自由でしたよ〜など、先生から声をかけてくださいました。

学校の先生との関係は、長くても2年ほどで担任が変わるとその後の接点が少なくなりますが、14年という長い期間、バレエの指導だけでなく、成長を見守り、いつでも相談に乗ってくださったことは、親子にとって本当に幸せな時間だったと思います。

夏紀先生は、まさに「第二の母」のような存在です!

 希望のバレエ学校にお嬢さんが合格されたお気持ち、さらに今後に対してのお気持ちはいかがですか?

留学を目指し始めたものの、最初は結果が出ず、娘の涙が止まらない日もありました。

娘がどれだけ本気で夢を追いかけているのかを知ることができましたが、ただそばで見守ることしかできませんでした。

それでも、こつこつと努力を重ね、先生方の熱心なご指導を受けて無事に留学が決まった時に、親として心から嬉しい反面、送り出す本当の覚悟が決まったように思います。

その後は、金銭面でも生活のリズムや送迎など家族で相談しながら、無事に送り出すことができました。

覚悟はしていたものの、短期間での準備と挑戦だったので、あっと言う間に行ってしまい、しばらくは心配と寂しさもありましたが、今では、留学先で元気に充実した生活を送っているという報告を毎日受けて、安心しています。

留学を通じて、さらにスタイルや技術、身体能力の差を身にしみて感じ、辛いこともたくさんあったようです。それでも、「ますますバレエが好きになった!」と語る娘の姿を見て、本当にバレエが大好きなんだと感じました。

今後も、バレエだけで生きていくのは簡単ではありませんが、大好きなバレエと共に表現者として生きていく覚悟を持って挑戦し続けると思います。家族でこれからも楽しみながら応援したいと思っています。

悩んで出した答えは何度変わってもいいんだよ。と教えていただき、一度は諦めた夢を掴み直すことができました。

まだまだ、悩みや高い壁はあると思いますが、これからもナツキバレエアカデミーで学び、先生方と仲間と成長できたことを誇りに思い、娘が自分らしい人生を歩んでいけることをこころから願いたいと思います。

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